\indvdldef[\adopted]{完子}[猶子]{\fbox{完子}}[さだこ,江と秀勝の娘,九条 幸家の正室,貞明皇后(大正天皇の皇后)につながる] \ftundef{茶茶} \indvdldef{茶茶}{\fbox{茶々}} [\maleline,淀殿,生\ymd{1569}? 没\ymd{1615}] \indvdldef[\blank]{秀吉}{豊臣秀吉}[\haschild,\private] \mrrgdef{茶茶夫婦}{ivalv,ivalii,秀吉}{茶茶}{} \indvdldef{鶴松}{鶴松}[早世] \indvdldef{秀頼}{秀頼}[江の娘 千姫の夫]% 従妹 \sblngdef{秀吉の子}{鶴松,秀頼} \gensdef{茶茶親子}{茶茶夫婦}{% {秀吉}{秀吉の子},% {茶茶}{完子}% } \fbox{\usebox{\茶茶親子}} \bigskip \begin{multicols}{2} \begin{itemize} \itemsep=\medskipamount \item これも物語でよくあるが、茶々は親の仇の秀吉の側室になった。淀殿と呼ばれ、 秀吉亡き後の強情ぶりは有名だが、そんなに気が強いのならば側室になる際に も一波乱あったのではなかろうか。 \item 秀吉は元々お市の方に惚れており、自分との合戦でお市の方が自害し、後にそ の娘 茶々を側室にした。 助平に権力を持たすと美人に類が及ぶということか。 でも衆道が当然の戦国大名の中で、秀吉はそっちに見向きもしなかった。 三姉妹の中で茶々が一番母親似の美人だ(だから秀吉が側室にした)という話 と、そうでもないという話と両方ある。 \item 秀吉には中々子が出来なかった。実子を産んだと確認できているのは茶々だけ。 第一子は早世し、誕生の喜びが大きかっただけに落胆も相当なものだったらし い。 \item 第一子早世後、実子を諦め、養子 秀次および秀俊を後継者候補とした後に、第二子 秀頼が 誕生した。既に関白職を譲られていた秀次は冷遇されるようになり、最終的に 切腹させられた。秀吉が一方的に非道という話もあれば、秀次が関白職を返さ ず対立したとか、残虐行為が甚だしかったとかいう話もある。 もう一人の後継者候補 秀俊は、秀吉正室 ねねの甥であり血縁も近かったが、 小早川家へ養子に出された。後継者候補ということで諸大名が随分接待し、子 供の頃から酒を呑んでいた。その後候補から外れても酒は呑み続け、早くからア ルコール中毒になっていたらしい。 これが後の小早川秀秋であり、その名を秀吉死後の関ヶ原で歴史に大きく残す ことになる。 \item 茶々は妹 江の再々婚を契機に江の娘 完子を猶子にした。養子みたいなもんら しい。 しっかり養育したらしく、完子は公家に嫁ぎ、子を残した。子孫は現在の皇室 につながる。 \end{itemize} \end{multicols}